万葉集全釈(486)

反歌 四八六 山の端(は)にあぢ群(むら)さわき行(ゆ)くなれど我はさぶしゑ君にしあらねば 山の端にあじ鴨が漏れ騒ぐように人々は行くけれど、私は寂しいよ。それが貴方ではないので。 ゑ=嘆息を表現する間投助詞 ~よ   し=強意の助詞

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私の好きな現代短歌(248)

山青く迫れる部屋にうつしみの眠り足らいし眼(まなこ)をひらく      岩間正男  疲れ果てていた私は、山が青く迫っている部屋でぐっすりと熟睡して今目が覚めた。  一九四七(昭和二二)年は、二・一ストに始まり、参議院選挙運動、国会活動と激務が続いた。疲れ果てた正男は国会が終わった秋、湯沢温泉「高半旅館」で静養する。歌人である正男は、おそらく川端康成の「雪国」に関心を寄せただろうと思う。  当時は、食糧統制令の時代で、配給の米を持って行くか、外食券を持って行かなければ、旅館や食堂でご飯が食べられなかった。私の経験では、一九五八(昭和三三)年まで、大学の学生食堂で米飯を食べる時、外食券を提出していた。  杉の木に杉の花咲くひそけさよ谷の温泉(いでゆ)に日数こもれば

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首藤隆司の童謡・唱歌「人を恋うる歌」

燕三条FMラジオハート番組「首藤隆司の童謡・唱歌」 バリトン独唱 首藤隆司 第490回(2019年2月28日) 首藤隆司の童謡・唱歌  こんにちは、首藤隆司です。 来月に入ると、県内の高校では卒業式が行われます。私の高校卒業は1954年(昭和29年)でした。あの頃の私たちには、旧制高校への憧れがあって、朴歯の高足駄を履き、腰に手ぬぐいをぶら下げ、学生帽はわざと破ってミシンを掛け、油を塗りつけた物を被り、それが男らしい姿だと得意になっている風潮がありました。今日は、男歌といわれる曲「人を恋うる歌」を歌いましょう。明治末期から、特に旧制高等学校の生徒たちが、硬派の男っぽい歌をロマンチックに歌いました。詩は、与謝野鉄幹が1901年(明治34年)に出版した詩歌集「鉄幹子」に載ったもので、作曲者は不明です。 

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万葉集全釈(485)

崗本(をかもとの)天皇の御製(ぎょせい)一首 短歌を併せた 四八五 神代より 生(あ)れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群(むら)の 通ひは行けど 我(あ)が恋ふる 君にしあらねば 昼には 日の暮るるまで 夜(よる)は 夜(よ)の明くる極(きは)み 思ひつつ 眠(い)も寝がてにと 明かしつらくも 長きこの夜(よ)を 神代から生まれ継いで来たので、人がたくさん国には満ちて、あじ鴨の群れのように人が歩いているけれど、私が恋している貴方ではないので、昼間は日が暮れるまで、夜は夜が明ける極まで、貴方のことを思って眠れないで明かしてしまいましたよ、この長い夜を。 崗本天皇=皇極天皇(女帝) さはに=たくさん あぢ=あじ鴨 がてに=難しい 

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首藤隆司の童謡・唱歌「遥かな友に」

燕三条FMラジオハート番組「首藤隆司の童謡・唱歌」バリトン独唱 首藤隆司 第489回(2019年2月14日) 首藤隆司の童謡・唱歌  こんにちは、首藤隆司です。 寒い日が続いていますが、お元気でお過ごしのことと思います。「寂しい雪の夜は、囲炉裏のはたで遠くの友人を思い出す」という歌「遥かな友に」を今日は歌いましょう。1951年(昭和26年)男声合唱団早稲田大学グリークラブが、神奈川県の津久井湖畔で合宿中、合唱指導者の磯部 俶が作詞作曲をしたもので、早稲田大学グリークラブ出身のボニージャックスが歌って全国で歌われるようになりました。

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「首藤隆司の童謡・唱歌」から「菩提樹」

燕三条FMラジオハート番組「首藤隆司の童謡・唱歌」バリトン独唱 第488回(2019年1月24日) 首藤隆司の童謡・唱歌  こんにちは首藤隆司です。  寒い日が続いていますが、お元気ですか。今日は今の季節にふさわしい、シューベルトの歌曲集「冬の旅」の中から「菩提樹」を歌います。初夏には幸せな恋愛をしていた青年が、冬には恋に敗れて、冷たい風の吹く夜、放浪の旅に出るという歌で、作詞はミュラー、訳詞は近藤朔風です。「冬の旅」は、失恋を歌った歌曲集で、若い頃あまり女性にもてなかった私の愛唱歌でした。

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首藤隆司の童謡・唱歌「埴生の宿」

燕三条FMラジオハート番組「首藤隆司の童謡・唱歌」バリトン独唱 首藤隆司 第487回(2019年1月10日) 首藤隆司の童謡・唱歌  こんにちは、首藤隆司です。  明けましておめでとうございます。皆さまにとって良いお正月だったでしょうか。今年も政治や社会問題、天候気候でいろいろと問題がありそうですが、平和で豊かな世界を築くために、みんなで力を合わせましょう。今日はお正月らしく、狭いながらも楽しいわが家を歌った「埴生の宿」を歌いましょう。埴生の宿というのは、泥で作った粗末な家という意味です。元の歌は、アメリカ人ペイヌの詩にイギリスの作曲家ビショップがオペラのアリアとして曲をつけた「ホームスウィートホーム」です。その歌詩を、里見義(ただし)が訳詩しました。1889年(明治22年)「中等唱歌集」に発表されました。

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(247)私の好きな近代短歌

焼けビルの内らにともす灯影ありたしかに人の棲みつけるらし   岩間正男  空襲で焼けたビルの窓に灯影が見える。たしかに人が住み着いたらしい。  終戦直後、田舎に疎開していた人たちが東京に帰って来、戦地にかり出されていた兵隊たちが復員してきた。しかし一面の焼け野原である東京には、住む家がない。寄せ集めの木材で掘っ立て小屋を立てたり、防空壕に住んだり、窓ガラスのない焼けビルに住む人たちが増えていた。焼けトタンを被せたバラック住宅は、太陽が照りつけると中にいられない暑さになる。梅雨になると雨水が床下に溜まって湿気がひどい。  トタンの屋根朝より灼けいてすべもなし壕舎の前の日まわりの花  雑草(あらぐさ)が埋めつくせる焼跡に梅雨の日癖の雨は降りつつ

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万葉集全釈(484)

万葉集第四巻 相聞(さうもん) 難波の天皇の妹が、大和にいた兄の天皇に奉った御歌一首 四八四 一日(ひとひ)こそ人も待ちよき長き日(け)をかくのみ待たばありかつましじ 一日なら人も待つことができるが、長い日々をこんなに待っていたら生きていることができないでしょう。 相聞=親しい人の間でやりとりする歌、恋の歌が多い かつ=できる ましじ=~ないだろう

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