私の好きな現代短歌(193)

運動のために玄関に転ぶなどいよいよ老いて能力のなし   佐藤佐太郎  運動のため、散歩に出ようとして玄関で転んだりして、いよいよ老いて能力がなくなった。  一九八七(昭和六十二)年、佐太郎七十八歳。五月には肺炎と腸捻転を併発して、転院。五月末に退院して自宅に帰った。六月再発。七月脳梗塞。八月八日、東京澁谷セントラル病院で永眠。  外歩むこと無くなりてなつかしむかつて強ふるごと歩みしをとめ  いねながら七十七歳を祝ひけり病みて用なき如き身なれど  運ばれて院内ゆけばしばしばも荷物のごとき人を相見る  ここに来て順番を待つ人の群声なく待つは涙ぐましも

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私の好きな現代短歌(192)

よもすがら月あきらけき夜なりしがしづかに明けて朝を迎ふる   佐藤佐太郎  一晩中月の明るい夜だったが、静かに夜が明けて、朝を迎えた。  一九八六(昭和六十一)年、いよいよ体力の衰えた佐太郎は、七月はほとんど寝たまま過ごし、九月の歌会が最後の出席となった。十二月に「佐藤佐太郎自選歌抄」(角川書店)を刊行。二十二日、千葉の恵天堂に入院。言語による意思疎通が困難となった。  満天星(どうだん)のもみぢうつくしき年の暮老人なれば日を惜しむなし  葉をもるる夕日の光近づきて金木犀の散る花となる  むらさきの彗星光る空ありと知りて帰るもゆたかならずや  しばしばも形の移る雲見えてその雲の間の青ふかきいろ

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私の好きな現代短歌(191)

坂道を掃くごとく射す西日あり長きわが影ふみて帰り来  佐藤佐太郎  まるで坂道を掃くかのように斜めに西日が射していて、私は自分の長い影を踏んで、散歩から帰ってきた。  佐太郎は足腰が弱り、日課の散歩の距離も短くしたが、健康のために散歩は続けていた。散歩を詠った短歌がたくさん残っている。  日々あゆむ遊歩道にて川音の近く聞こゆる風の日のあり  夕ちかき四時家いでて道をゆく樹に鳴く蝉の残るころほひ  家いでて道のちから草穂ののびて残暑を垂るるところひそけし  風の日は殊更おほき柿落葉美しく散るところを歩む  突然に大き飛行船あらはれて音なくうつる蛇崩の空

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私の好きな現代短歌(190)

指や手のぎこちなくして寒き日々つぶさに老の冬を迎ふる  佐藤佐太郎  指や手が寒さでかじかんで、間違いなく老いの冬がやってきた。  七十五歳の佐太郎は、老いを深めながらも作歌、執筆を進め、歌会にも出席した。健康のための散歩は、寒い冬も、暑い夏も続けていた。  よく晴れし初冬山茶花輝きて黄のしべけぶる短き時間  おもむろに寒さきびしき日々なれど立春頃は木々余清あり  日々あゆむ道のかたはらなかば咲きなかば眠れるおしろいの花  冬の日にさく寒椿蛇崩川支流の道にその花あかし  朝くらく道を歩めば寂しさや夜のあけ遅き八月はじめ

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私の好きな現代短歌(189)

見る力衰へてゆくゆふぐれの路傍の席をたちて帰らん    佐藤佐太郎  視力の衰えていく夕暮れ、道ばたのベンチから立ち上がって、帰ろう。  歳をとると、眼の水晶体が濁って、白内障になる。夕方あたりが薄暗くなると物が見えにくくなる。  一九八五(昭和六〇)年、佐太郎は七十六歳。次第に活動力は衰え、この年は入門書「短歌を作るこころ」(角川書店)を出したぐらいのものだった。歌の中にも老いの語が増えている。  黄の花のかたまりて散る木犀の香も年老いてやうやくうとし  世にうとくわがゐる時に何がなし戦時下のごとき不安のきざす  睡眠の薬をのみてさめしのちありとしもなしこの老身は

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私の好きな現代短歌(188)

指や手のぎこちなくして寒き日々つぶさに老の冬を迎ふる   佐藤佐太郎  指や手が寒さでかじかんで、間違いなく老いの冬がやってきた。  七十五歳の佐太郎は、老いを深めながらも作歌、執筆を進め、歌会にも出席した。健康のための散歩は、寒い冬も、暑い夏も続けていた。  よく晴れし初冬山茶花輝きて黄のしべけぶる短き時間  おもむろに寒さきびしき日々なれど立春頃は木々余清あり  日々あゆむ道のかたはらなかば咲きなかば眠れるおしろいの花  冬の日にさく寒椿蛇崩川支流の道にその花あかし  朝くらく道を歩めば寂しさや夜のあけ遅き八月はじめ

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私の好きな現代短歌(187)

豆柿も棕櫚も小鳥の運びたるものと知るわれ木々はしけやし   佐藤佐太郎  豆柿も棕櫚も小鳥が運んできたのだと知っている私には、これらの木々がいとおしい。  植えた覚えのない豆柿や棕櫚が庭に育っている。これは小鳥が種を運んできたものだ。植物の中には、実を小鳥に食べさせて、種を遠くに運んで糞として落としてもらって子孫を増やすものがある。我が家の庭にも、アケビ、カラスウリ、車輪梅、棕櫚など、小鳥が運んできた植物が育っているので、「はしけやし」という気持ちがよく分かる。  わが家に帰り着きたる安心を昨日も今日も庭にわが言ふ  柿の花いつとしもなく過ぎしかば同じところに若実落ちをり  あたらしく散りし落葉はやや遠き光をかへすその木の下に

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私の好きな現代短歌(186)

陽光はふたたび深し年替りやうやく長き光を受くる    佐藤佐太郎  明るい日光はまた深く差し込んできた。年が替わりようやく長い日光を受けることが出来た。  一九八四(昭和五十九)年正月、佐太郎七十五歳。年末からぐずついていた天気がよくなり、新年の陽光が差してきた。前年に刊行した第十二歌集「星宿」に迢空賞が贈られた。健康のための散歩も続けられ、作歌、執筆の仕事は続いた。  朝床にきこゆる風の音のありものを引きずる如きその風  寒暑なき花みづき咲く空の下万物清々の時を惜しまん  その下にとどこほる光木々はもついまだ花なく葉なき木なれど

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私の好きな現代短歌(185)

朝さめてこの世に老いし人ひとりにれ噛むごとく夢をはかなむ    佐藤佐太郎  朝目が覚めると、私はこの世に生きる一人の老人だ。見ていたはかない夢を反芻している。  七十四歳の佐太郎の、老人生活の悲哀が、ありのままに詠まれていく。若い人には実感が湧かないかもしれないが、同年配になった私には、身につまされる歌だ。視力が低下し、足腰が弱くなり、歯の具合が悪くなる。  いまわれは低き枕に夜々ねむるかかる形に馴れし老人  眼を病むといふにあらねど見ゆるものおほよそかすみ黙す日多し  畳ふみ部屋をあゆめば足よわき一足ごとに運ぶ身重し  義歯重く思ふことあり年老いて健かならぬ日々を送れば  

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私の好きな現代短歌(184)

蘇東坡が潮にかくるる椰子の木を詩によみし島われは見が欲し  佐藤佐太郎  蘇東坡が満ち潮になると海に隠れる椰子の木を漢詩に詠んだ海南島を私は見たい。  十一世紀の中国の詩人、蘇東坡を尊敬していた佐太郎は、一九八三(昭和五八)年、七十四歳で中国海南島の蘇東坡ゆかりの地を旅する。その喜びが短歌にあふれている。  蘇東坡は海南島を詩にうたひ古より戦場なしとたたへき  辛うじて八百年経し澄邁(ちょうまい)の古き石坂にいまわれは立つ  年老いし東坡が踏みし広き青野くる船を待ち澄邁に居き  晩潮にひたる椰子の木時移り遠野に見ゆる澄邁ここは  石組みし船着場跡残りをり人見るごとくわれは喜ぶ

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私の好きな現代短歌(183)

さとりてもこれにてよしといふ事の無き奥行に常にこだはる   佐藤佐太郎  新しい境地に到達しても、これでよいということのない奥深いものにいつもこだわっている。  一道を極めた芸術家は、いつもこの思いを抱いているのだろう。だからこそ常人の到達し得ない境地に入ることが出来る。幾歳になっても飽くなき好奇心、探求心を失わないことが大切なのだろう。  新しき言葉のひびき聞こえくる開けし幸を時におもはん  わがことにあらねどあはれ窮れば則ち詐(いつは)るといふ言葉など  時のまの心なごまん珈琲にそそぐクリームのひろがるあひだ  日によりて数の異る返花黄の山吹は寒暑なく咲く

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私の好きな現代短歌(182)

健かに居りて病まねど居るままに居りておのづから老いてゆくべし     佐藤佐太郎  病気もしないで健やかに過ごしているが、こうやって日々を過ごしながら自然と年老いていくのだろう。  何度か病気も体験しながら、健康を取り戻し、淡々と平穏な日々が過ぎていく。蛇崩坂の散歩も季節の花々を眺めながら楽しんでいる。短歌からはのんびり過ごしているように思えるが、実際は編集などで忙しかった。  花移り花替りゐる道のべに薔薇の命はいくばく長し  ぎんなんのつぶれて匂ふ道をゆく蛇崩坂も寒くなりたり  篁(たかむら)のうちに音なく動く葉のありて風道の見ゆるしづけさ  まだ寒く余光をふくむ棕櫚の木の梢を見つつ坂より帰る

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私の好きな現代短歌(181)

風のふくとき空深き音のする樟(くす)の若葉をたたずみて聞く   佐藤佐太郎  風の吹くとき、楠の下に立つと、若葉を吹く風の音が空に深く聞こえる。  楠は寒さに弱い樹なので、新潟ではあまり見られないが、太平洋側の関東以西では街路樹や学校、公園の植木などによく使われている。神社などには大樹がある。微かな樟脳の香りがして葉を吹く風の音もサヤサヤとさわやかである。毎日の散歩の途中の情景だろうか。足の弱った佐太郎は、散歩の途中に椅子のある休憩所で一休みする。  椅子に来て憩ふあひだに時移りおしろいばなのくれなゐのたつ  台風の日を境とし椅子にさす晩夏の光しづかになりぬ  目に見えぬ鳥の声する椅子ありて風寒き日もわが来て憩ふ

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私の好きな現代短歌(一八〇)

日ごとなる散歩にいでて或る範囲より遠くまで行くこともなし  佐藤佐太郎  毎日散歩に出ているが、範囲を決めていて遠くまで行くということはない。  七十四歳の佐太郎は、健康を維持するために娘さんに付き添ってもらいながら毎日の散歩を続ける。しかし、体力に合わせて歩く距離は短くした。  風向きにかかはりなけれどわが運ぶ足弱くして遠く歩まず  いつ見ても花日にしぼむおしろいの路傍いづこにも咲くころとなる  何といふこと知らざれど行く道を圧しくるごとし木草の光  わが生の節目と思ひ散歩より臥床に帰り沈黙をする  青天の遠く聞こゆる風の音おのづから湧く寂しさのあり

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私の好きな現代短歌(179)

道ゆきて今われの眼のあかるきは二日体操せしゆゑならん   佐藤佐太郎  道を歩いていて目がよく見えるのは、ここ二日間体操をしたからだろう。  一九八三(昭和五十八)年、佐太郎七十四歳。健康に気をつけた佐太郎は、元気を取り戻す。この年、また中国海南島に旅行し、蘇東坡ゆかりの地を巡った。第十二歌集「星宿」「佐藤佐太郎書画集」を刊行。日本芸術院会員に推挙された。  娘さんの付き添いで蛇崩坂の散歩も再開した。  わがためにぬれしタオルをたづさふる娘ともなひ日々坂を行く  道を行くひまに曇りて風いづるなど春の日の心さわがし  定数のあるわが歩みおもむろにあらしむるため家いでて行く

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私の好きな現代短歌(178)

何もせず居りて気づけば衰老を悲劇的ならしむる夜の寒さは  佐藤佐太郎  何もせずにいて気がつくと、衰えた老人をつらくさせるのは夜の寒さだ。  この気持ちは、現在80歳の私にもよく分かる。年とともに寒がりになって、厚着をするし、暖房も早く使うようになって、家族にあきれられている。寒い夜は、足が冷えて暖まらず、頻尿になって、夜中、何度もトイレに起きるようになる。  よもすがら口中に異物無く睡るわが境涯の安けさあはれ  いまわれは老齢の数のうちにありかつて語らぬ人の寂しさ  幸に非常の病まぬがれてより十五年老いて死を待つ  母のせしことかはた妻のせしことか過去遠ければただなつかしむ

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私の好きな現代短歌(177)

みづからの作れる歌をあるときは撫(な)づるごとくに半日すごす  佐藤佐太郎  あるときは、自分の作った歌を取り出し、撫でるように読み返して、半日を過ごすこともある。  半世紀以上短歌を作り、短歌に関係した仕事を続け、言ってみれば短歌の一生だった。自分の作った歌は、自分の産み落とした子どものようなもの。読み返しているうちに気がつくと、もう半日が過ぎている。  寒暖を知らず体調の善悪を知らず茫々(ばうばう)と一日すぎゐき  植込にふく風かよふをりをりに董(すみれ)などかすけき茎(くき)振動す  節分に立春つづく二三日病みてつぶさに朝を迎ふる  いづこにも今年の蝉の声きこえ老いて反応のにぶきわが日々

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私の好きな現代短歌(176)

わが生は年老いてかかる哀あり風のふく日はあゆみ進まず  佐藤佐太郎  長い人生を生きてくると、年老いてこんな哀しみを味わう。風の吹く日は前へ進めない。  一九八二(昭和五七)年、佐太郎七十三歳。病気ではないが体力が衰え、日課にしていた散歩も出来なくなってきた。病気ではないが寝床を敷きっぱなしで、寝たり起きたりしている。窓から、庭の花や遊びに来る野鳥を眺めて楽しむようになる。  病む人に非ずといへどさしあたり心よわりて床上に臥す  杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時(いつ)人は言ふ  暗きよりめざめてをれば空わたる鐘の音(おと)朝の寒気を救ふ  窓外に来る尾長鳥二つゐて咲ける辛夷(こぶし)の花をついばむ

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私の好きな現代短歌(175)

検眼をして渋谷より帰り来る煙霧のごとき老境われは   佐藤佐太郎  目がよく見えなくなって、渋谷へ検眼に行ってきた。視野だけでなく、まるで煙霧のような老境にいる私は。  歳をとってくると、目の水晶体が弾力を失い、焦点を合わせにくくなる老眼になるだけでなく、ほとんどの人が水晶体に濁りの出来る白内障になる。病気というよりは老化現象である。今は白内障の手術が簡単にできるが、佐太郎の時代には、高齢だからと諦めるしかないことだった。  眼のうときゆゑに不安のきざすことありて衰老道を日々ゆく  朝の日に花あきらけき道をゆく老いしわが目をしばし憂へず  わが視力おとろへしかば両足の爪を切るときその爪見えず

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私の好きな現代短歌(174)

その枝に花あふれ咲く雪柳(ゆきやなぎ)日々来るわれは花をまぶしむ   佐藤佐太郎  枝に花があふれ咲いている雪柳。それを毎日見に来る私には、花がまぶしい。  雪柳の咲く春から始まって、佐太郎の日課である散歩は、夏、秋へと続く。  道のべに十株ほどの金盞花(きんせんか)かがやきて春晴はいま風に随(したが)ふ  夏あさく街路樹のさくころとなりむらさきつつじわれを富ましむ  往反の道にアベリアの花さきて日ごとの夏の香を呼吸する  旗のごと紅蜀葵(こうしょくき)なびく道のべの晩夏の風に吹かれて歩む  椅子あれば菊芋(きくいも)といふ雑草の咲けるほとりにしばらく憩ふ  家いでて蛇崩道に一時間われのひたれる黄菊の天

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私の好きな現代短歌(173)

昼も夜もしばしば広き道を行くクリスマス前後の町の寂しさ  佐藤佐太郎  昼も夜も、何度か広い道を通った。クリスマス前後は町が寂れている。  老いの歌が多くなっている佐太郎だが、この年アメリカのロサンゼルスも訪れている。日本なら、クリスマス前後、街は大売り出しや酔っぱらいでにぎわうのだが、欧米ではクリスマスは敬虔な宗教行事で、家庭でささやかに祝うものなのだろう。街は人通りが少なく、いつもより寂れているのだろう。  国内旅行もあちこちに出かけている。  首たてて水に浮く鵜(う)はかがりびの下おのおのの頭部光れる  よぎりゆく青木が原のひとところ人の死やすく或は難し  ふたたびはすぎて返らぬ思ひあり五十年涙のごときわが過去

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私の好きな現代短歌(172)

桂林の朝くらき空風音のする山々のかたちするどし  佐藤佐太郎  桂林の朝、まだ暗い空に風の音がして、山々の形が鋭く見える。  一九八二(昭和五七)年、二年ぶりに七十四歳でまた中国を訪問している。桂林はおもしろい形の山が林立している観光の名所だ。海底がそのまま隆起した地層だそうで、海底の山がそのまま陸上ににょっきりと出現した。あまり裾野を引かず頭の丸い柱のような山が林立している。私は子供の頃、掛け軸などでこんな高い山を見たが、画家が空想で描いた山で、ほんとにこんな山があるとは思っていなかった。写真で見たときは驚いた。  灕江(りかう)より起ちあがりたる山々は明暗朝の霧をまとへる  山骨を中心とせる群峯の位置うつる無しふるき山々

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私の好きな現代短歌(171)

やむを得ずおもむろにゆくわが歩みのみならず速かにあらぬ飲食(おんじき) 佐藤佐太郎  歳をとったので、やむを得ずゆっくりと歩く私は、歩みだけでなく飲食もゆっくりでないと出来なくなった。  高齢になると、素早く動くことができなくなる。歩みがのろくなるだけでなく、飲食もなかなかてきぱきと進まなくなる。もどかしく思いながら、佐太郎はそこに自分の老いの衰えを感じている。  あるときは吹く風に躯(からだ)とぶごとく思ふことあり四肢衰へて  寒暖にわがこだはるはおのづから斯(か)く衰へて身に力なし  わが躰(からだ)たもつ力の弱くして生のほとりは日に日に寂し  かへりみるわれのほとりの過去おぼろ昨日は遠く疎(うと)くなりをり

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私の好きな現代短歌(170)

眼をとぢて臥しゐし夜の六時間なりゆきのまま眠り得ずして   佐藤佐太郎  夜の六時間を、目を閉じて横になっていた。眠れないままなりゆきにまかせて。  歳をとってくると、睡眠時間が短くなり、眠りが浅くなり、眠れなくなる。始めのうちは、眠れないことを気にして焦るが、だんだん慣れてくると、眠れなくても横になっていれば体は休まると考えて、成行きに任せる気持ちになってくる。  睡りしか否かを知らず明けし夜を疑はずして衰へてゆく  わが庭に鳩なく声をなごましく朝床に聞く老い且つ病みて  義歯はづし老いしかたちの枕辺に置きて一人の電燈を消す  髪を刈る五分ばかりに夢のごとまどろみたりし今の安けさ

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私の好きな現代短歌(169)

きたへんとしたるわが足日々弱く救ひがたくして道にかなしむ  佐藤佐太郎  鍛えようと毎日散歩をしているが、その足も救いがたく、日々弱くなって散歩をしながらも悲しい。  一九七五(昭和五十)年、六十六歳の時脳梗塞で倒れ、そのリハビリのため、蛇崩坂の散歩を始めたのだったが、あれから六年、七十二歳になった佐太郎はさすがに体力の衰えを感じている。  近く死ぬわれかと思ふ時のあり蛇崩坂を歩みゐるとき  杖をつく人いくたりか道に逢ふわれに似てこころよき対象ならず  無為の日の変化のひとつ柿の木に蝉強く鳴くところを通る  蛇崩の往路も帰路もしづかにて落葉の音はいつよりか無し

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私の好きな現代短歌(168)

路地にゐる犬を怯れて進み得ぬまで年老いて衰へにけり   佐藤佐太郎  散歩道の途中にいる犬が恐くて先へ進めないほど、年を取って衰えてしまったなあ。  まだ海外旅行をするほど気力はあるのだが、体力は間違いなく衰えていく。若い時から犬は好きなのだが、うっかり近づいて、飛びつかれたりすると、転んで大変なことになる。警戒して犬には近づかないようにしている。老いの衰えを詠んだ歌が多くなる。  朝床にさむるすなはち寒暖にこだはるあはれ体衰へて  ふく風を聞けば寂しくこもりしが日課なきわれ午後また眠る  ゆくりなき遭遇などを人の世の味はひと知るわれ老いてより  蛇崩の道の斜陽にやまぶきの返花および老齢いこふ

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私の好きな現代短歌(167)

定陵の音なき地下を出でて来てわが寂しさをいかに遣らはん   佐藤佐太郎  明の第十四代皇帝、万暦(ばんれき)帝の陵墓「定陵」を見学し、無音の地下を出てきたが、このやりきれない寂しさを、どう紛らわせようか。 十六世紀、明の万暦帝は国の財力も考えず、生前から自らの陵墓建設に銀八百万両をつぎ込み、明滅亡の遠因を作った。その壮大な構造と豪華絢爛たる副葬品を見学した佐太郎は、奢れる者の哀れさ、寂しさをやりきれなく思ったのだろう。  うちつづく山を連ねていにしへもいまも寂しき長城は見ゆ  黄のいらか或は光りかげりつつ強き風ふく紫禁城見ゆ  死に近き床に一生を顧みてつひに悪無しといひ得たる人 (憶蘇東坡)

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私の好きな現代短歌(166)

蘇東坡の掘りたる井戸は八百年いま学校の屋内にあり  佐藤佐太郎  蘇東坡が掘った井戸が、八百年たった今も学校の屋内に残っている  蘇東坡(そとうば)は本名を蘇軾(そしょく)といい、十一世紀中国の官僚であり詩人で、「赤壁の賦」を書き残したことで有名である。佐太郎は、蘇東坡を清廉潔白な人として尊敬していた。何度も中国を旅しているが、一九八〇(昭和五十五)年七一歳の時も蘇東坡ゆかりの恵州を訪ねている。  蘇東坡の詩句を詠みこんだ作品もある。   蘇東坡曰、披雲見天眼  収めたる冬野をみつつ行くゆふべひろき曇に天眼移る   蘇東坡曰、生死夢三者無劣優  忘れたる夢中の詩句を惜しみつつ一つの生をさめて喜ぶ

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私の好きな現代短歌(165)

喜ばず蔑まず見よ香煙を掌(て)に受けてその身いたはる姿   佐藤佐太郎  喜んだり軽蔑したりしないでごらんなさい。老人がお寺の線香の煙を掌に受けて、それを自分の体にこすりつけている姿を。  よくお寺で見る風景である。私などは「そんなことをしても効果はないだろう」と思いながら、微笑ましい気持ちで見ているが、佐太郎は、老いの現実を感情を交えず、ありのままに見よとい言いたいのだろう。  わが死後の記念のために意識して幼子の頂なづることあり  道のべの椅子にいこへばわが足に地(つち)より暑気ののぼる日盛り  憩ひつつたまさか見ゆるその地(つち)にいたるまで木の葉ただよふ時間  わが部屋にあまねく及ぶ秋暑あり心しづかにて居るところなし

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私の好きな現代短歌(164)

わがごときさへ神の意を忖度(そんたく)す犬馬の小さき変種を見れば   佐藤佐太郎  私のような者でも、神様はどうお考えだろうかと思ってしまう。犬や馬を小さくした変種を見ると。  人間は、自分の都合で犬や馬の変種を作り出している。佐太郎は、小さな馬ポニーやペット用の小犬を見て、人間が神の領域を侵しているのではないかと批判をしている。今は、それどころではない。家畜のクローンから始まり、人間のクローンもいつでも作れるところまで来ており、人工受精も卵子を取り出し受精させ、他人の腹を借りて出産させることも行われるようになっている。臓器移植も進み、進歩する技術をどこまで許すか、倫理の問題になっている。  きはまれる青天はうれひよぶならん出でて歩めば冬の日寂し

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