私の好きな現代短歌(163)

梨の実の二十世紀といふあはれわが余生さへそのうちにあり   佐藤佐太郎  梨の実に、二十世紀というのがある。私の残りの命も、二十世紀の中にあると思うと感慨を催す。  一九七九(昭和五四)年、佐太郎七十歳の作。二十世紀はまだ二十一年残っている。佐太郎はとてもそれまで生きられるとは思えなかった。今なら百歳まで生きることも不可能ではないが、当時の平均寿命から考えれば当然のことだった。二十世紀梨は,一八九五(明治二八)年、千葉県松戸で偶然発見された梨の新種で、間もなく二十世紀になるというので、そう命名された。  珈琲(コオヒー)を活力としてのむときに寂しく匙の鳴る音を聞く  葉のさわぐ槻(つき)の木の下かへりくるゆふべの風は露をおびたり

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私の好きな現代短歌(162)

憩ひつつ膝上に短詩成ることもあり蛇崩の道をあゆめば   佐藤佐太郎  蛇崩坂の散歩の途中、ベンチに休んでいるとき、短歌が生まれると膝の上でメモをする。  短歌というのは、いつ頭の中に閃くか分からない。だから短歌を詠む人は、メモを手放せない。何時どんな時、短歌が生まれやすいかは、個人によって違うが、散歩中という人は多い。足を動かすと脳の活動が活発になるし、目にはいろいろなものが映って歌の材料に気づく。頭に浮かんだ短歌は、すぐにメモをしておかないと忘れてしまう。私にも散歩中に生まれた短歌が多い。常に手帳を持ち歩いている。  目にみゆる変化なけれど天おほひ寒気くるころわが足よわし  山茶花の咲くべくなりてなつかしむ今年の花は去年を知らず

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私の好きな現代短歌(161)

窮達の到らぬところ知らずして日々さだまれる坂往反す    佐藤佐太郎  自分の人生は困窮だったか栄達だったか、そんなことは知らない。毎日決まった坂道を往復している。  一九七八(昭和五三)年、佐太郎は六十九歳。前年に出版した『佐藤佐太郎全歌集』で、第一回現代短歌大賞(現代歌人協会新設)を受賞した。まさに栄達を極めたと言えるが、佐太郎は『茂吉秀歌』を書き上げて、出版。老いの衰えを自覚したような歌を詠みながら、精力的に仕事を続けた。  六十九の老残として世にありとかつておもはぬ実感ひとつ  晴れし日の何事もなく暮れゆくを老い衰へてわれは感謝す  七十年生きて来しかばわが顔のさびて当然に愁ただよふ

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私の好きな現代短歌(160)

蛇崩の道の桜はさきそめてけふ往路より帰路花多し  佐藤佐太郎  蛇崩坂の桜が咲き始めた。散歩に出た時よりも帰りの方が花が増えている。  桜は、咲き始めると一気に咲いていく。朝と夕方では、明らかに花の数が違うだろう。ただ、一時間ほどの散歩の間に花が増えるというのはちょっと信じがたい。増えたように見える佐太郎の感覚的な認識かもしれない。待ちかねた桜が咲き始めた喜びが感じられる。蛇崩坂の途中には季節の花が次々と咲き、佐太郎の目を楽しませる。  帰り路の坂をあゆめば夕つ日は連翹の黄の花群にあり  道のべの日々花多き山吹もつつじも旧知わが声を待つ  蛇崩の往反人の同じきに季うつり家々の垣薔薇となる

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私の好きな現代短歌(159)

門(もん)いでて杖をたづさへ歩めども懐抱は日々同じにあらず   佐藤佐太郎  毎日のように杖を持って家から散歩に出ているが、考えることは日によって違うのだ。  散歩というものは、ものを考えるのに大変よいもので、昔から、有名な哲学者も散歩を日課にしていたようだ。京都大学教授だった西田幾多郎が散歩をしていた道が、今は「哲学の道」と名付けられて観光名所になっている。ドイツの哲学者カントの散歩も有名である。たしかに私も、散歩をしているとき頭の中では活発にいろいろのことを考えている。  道に逢ふ杖もつ人は健康者よりも運命に振幅あらん  雨につぐ逝く春の風の日をこころ衰へてわれはさびしむ  時はいま楽しといひて蛇崩の柿の花落つるところを通る

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私の好きな現代短歌(158)

手に杖をたづさふ者の当然として力なき足を嘆かず     佐藤佐太郎  大病をして命を取り留めた者は、それだけでありがたい。杖をつきながら、足に力がないことは当然のことだと思っている。  杖をついて歩いている人を見ると、大変だろうなと同情を禁じ得ないが、ご本人はむしろ命を取り留めたことに感謝しているのかもしれない。佐太郎は、禁煙し、散歩や体操でリハビリに努めていた。  病みながら痛むところの身に無きを相対的によろこびとせん  禁煙の第一日目は可も不可もなき一束(ひとたば)の過去となりたり  あさあさに体操すれば寒き風めぐりに動き腕をわが振る  いくばくかわが足つよく坂をゆく一年すぎし秋分の天

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私の好きな現代短歌(157)

逢ふはずのなき斑白(はんぱく)の人を見るわが全容が鏡にありて  佐藤佐太郎  逢うはずのない胡麻塩頭の人を見た。私の全身が鏡に映っていたのだった。  年配の方は、どなたも経験がおありだと思う。私も、新潟市の繁華街で横断歩道を渡っている時、向かいのビルのショウウインドウに映っている老人が自分だと分かってショックを受けたことがあった。  佐太郎六十七歳。脳梗塞を克服したものの、老いは容赦なく進む。  わが顔に夜空の星のごときもの老人斑(はん)を悲しまず見よ  次の歌も、短歌や俳句を作る方には同感されると思う。「釣り落とした魚は大きい」ということわざ通り、くやしいものだ。  忘れたる夢中の詩句を惜しみつつ一つの生をさめて喜ぶ

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私の好きな現代短歌(156)

蛇崩の坂の熟柿(うれがき)雨ふれば鳥は来ざらん吾もあゆまず    佐藤佐太郎  我が家の往還に通る蛇崩坂(じゃくづれざか)の熟した柿を食べに、いつも鳥が来ているのだが、さすがに雨の日は来ていないだろう。私も雨の日は散歩を休む。  佐太郎はリハビリのため、毎日杖をついて散歩に出る。蛇崩坂を往復する。この後、蛇崩坂の名前がしきりに短歌に登場することになる。  家いでて道をあゆめば日のかげる蛇崩坂のくだり路(ぢ)さびし  蛇崩の坂より帰りいこひしが雷鳴ありて眠よりさむ  雨に遇ひて蛇崩坂をいそぎ行く今日の一人も哀れならずや  午睡よりさめし老びといま坂をゆく一日の幻(まぼろし)いづれ

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私の好きな現代短歌(155)

鼻出血以後の十年をかへりみて長き命をいま感謝せん  佐藤佐太郎  鼻から大量出血をして以来の十年を振り返ってみると、長い命を与えられたことを感謝しないではいられない。  一九六六(昭和四一)年、五十七歳の大晦日、鼻から大量の出血を見て、入院したことがあった。あれから約十年の今、脳血栓でまた一命を取り留めた。この十年間にやり遂げた仕事を思うと、命を与えられた幸運を感謝したいというのである。しかし、脳血栓の後遺症で足元は少しおぼつかない。うっかりマンホールの蓋など、滑りやすいものを踏むと危ないのである。  街ゆけばマンホールなど不安なるものの光をいくたびも踏む  ゆりかへす地震のごときいくたびかありてわが躯(からだ)安定を得ん

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私の好きな現代短歌(154)

生死夢の境は何か寺庭にかがやく梅のなか歩みゆく    佐藤佐太郎  脳血栓で倒れ、意識を失った時のことを思い返すと、生と死と夢の境とは何だろうと思いながら、娘に付き添われ、梅の咲く寺の境内を散歩している。  幸運にも病後の経過はよく、回復が早くて、二ヶ月で退院することができた。  杖をつき、リハビリの散歩に励むようになる。相変わらず多忙で、九月には第十歌集「開冬」を刊行し、十一月には学術・芸術上の業績著しい者に与えられる紫綬褒章を受けた。  くれなゐの花たをやかに光ある海棠を惜しむゆふべをとめと  みづからの顔を幻に見ることもありて臥床に眠をぞ待つ  もてあそび難き余齢とおもはんか鹿島港のあたり寂しく帰る

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私の好きな現代短歌(153)

窓ちかく桜の花はかがやかん見んきほひなく臥しつつをれど  佐藤佐太郎  窓近くに桜の花は咲き輝いているのだろう。それを見る元気もなく病床に臥しているのだが。  一九七五(昭和五十)年三月、六十六歳の時佐太郎は、脳血栓で倒れる。四月、千葉県銚子の恵天堂に入院、五月退院した。思えば九年前、鼻から大量の出血を見て入院して以来の病院生活になった。銚子では新鮮な野菜が食べられる。霧の日には、沖をゆく船のために霧笛が一日中鳴っている。うまいキャベツを食べ、霧笛を聞きながらうとうとと昼寝をするのである。  衰へし身を養はんわが日々に甘藍(かんらん)うまし海のべここは  霧の日にさいれんの鳴る銚子にてその音聞こえ午睡したりき

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私の好きな現代短歌(152)

遠近もなき氷雪の輝きのなかに氷河はにぶくかがやく   佐藤佐太郎  眩しくて、遠近感の感じられない氷雪の輝きの中に、氷河が鈍く輝いている。  スイスアルプスの展望台で、そびえたつ氷雪の山々を眺める。日本では見られない、堂々とした氷河が眼前に鈍く輝いている。ユングフラウには、夏でも激しく雪が降っているのが見える。佐太郎は、六五歳になっても、好奇心が旺盛で外国旅行をする。  遠ざかるごとく近づくごとくにてスイスアルプの雪山いくつ  雨のふるところを過ぎて高山のユングフラウに雪みだれ降る  かがやきて天に横たふ雪山のひとつわが立つユングフラウは  明らかに谿(たに)晴れをりてくだりくるその道々に山高くなる

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私の好きな現代短歌(151)

北極の半天を限る氷雪は日にかがやきて白(しろ)古今なし  佐藤佐太郎  北極の半天を占めている氷雪は、太陽にかがやいて、昔も今も真っ白だ。  一九七四(昭和四九)年、六五歳の佐太郎は、何度目かのヨーロッパ旅行をする。ヨーロッパ空路の飛行機が北極上空を越えるとき、日光を受けて真っ白に輝く氷雪を見て、その荘厳な風景を詠んだ。何万年もの氷の世界の歴史を感じたのだ。  光源として太陽のかがやけるその青天も雪も動かず  老鈍の心ゆらぎて北磁極いま過ぎたりといふ声をきく  おしなべてただ白けれど山のまの氷河の終る海はしづけし  南より照る日に黒き影をもつ氷山群は陸地にあらず

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私の好きな現代短歌(150)

湧きあがる渦のしづかさ渦のさわだちこもごもに見ゆ  佐藤佐太郎  湧きあがる渦にも、音のしない静かなものや、ざわざわと音を立てるものがあるのを、いろいろと見た。  佐太郎は、船で島に渡り、そこで朝を迎えている。今は、今治市に約四キロメートルの世界初三連吊り橋来島大橋があり、レンタサイクルで行けば、渦潮を見る絶好の展望台がある。観光客は、喜んで歓声を上げて喜ぶだけだろうが、佐太郎は、そんな渦潮の姿や音にも、悲しみや寂しさを感じている。  転流となりてふたたびたつ潮の音きこゆるはこころ悲しき  ふく風のごとく寂しき渦潮の流れの音は島にきこゆる  潮の流れ久しとおもふに現はれし岩乾きあまた蝿のまつはる

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私の好きな現代短歌(149)

島めぐる潮さわがしくなりしかば遠くにも光顕(た)つ流(ながれ)見ゆ  佐藤佐太郎  島を巡る潮流の音が騒がしくなってくると、遠くの方にもキラキラ光る潮流が見える。  一九六五年(昭和四十年)愛媛県今治市に旅をして、来島海峡を眺めたときの歌である。来島海峡は、今治市の沖、大島との間の海峡である。今は、一九九九年(平成十一年)開通し今治市と広島県尾道市を橋でつなぐ「しまなみ海道」として有名なところである。狭い海峡なので、潮の干満の度に潮鳴りがし、大きな渦ができる観光名所である。  一斉に声あぐるごとひたすらに島のあひだを潮流走る  近き島遠き島見えてことごとく海光ある朝となりたり  海峡のひとつの島にをりしとき海遠白き憩流(けいりゅう)となる

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私の好きな現代短歌(148)

ポンペイの遠きいにしへ屋壁の素材に軽石あり赤き火山岩あり   佐藤佐太郎  古代都市ポンペイの家々の壁の素材には、軽石や赤い火山岩が使われている。  ポンペイは、ナポリ湾に面した古代都市で、紀元前八世紀頃から栄えたが、紀元七九年ベスビオ火山の大爆発によって廃墟となった。一七四八年から発掘が進み、上下水道などの都市計画、都市建築の素晴らしさ、壁画や調度品の文化水準の高さが注目を集め、世界中から観光客が押し寄せている。まだ発掘は続いている。佐太郎は、その家々の壁の材料に火山岩が使われていることに気づき、当時の人たちの工夫に感心している。  九階の朝の食堂にきれぎれの波立ちあるる地中海見ゆ  中世の城壁に滝のごとき雨ながるるを見てナポリより去る

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私の好きな現代短歌(147)

死せるキリストを抱く架空の聖母像ミケランジェロ信仰によりて作りき   佐藤佐太郎  死んだキリストを抱く聖母というのは架空の像である。それをミケランジェロは信仰心によって作ったのだ。  処刑されたキリストの遺体を抱いて嘆く聖母マリアの像。有名なミケランジェロの彫刻作品である。まるで生身の人間のように見える、みごとな彫刻だ。ここまでは誰もが思うことである。しかし佐太郎に指摘されて気づくことだが、これは架空の像である。ミケランジェロが想像で刻んだ彫刻である。ミケランジェロの深い信仰心が、これほどの真に迫った像を彫らせたのだ。そのことを指摘した佐太郎の認識がただ者でないと思う。  ローマにていくたびも聞く鐘の音のひとつカラカラに居れば聞こゆる  オリーブの長き葉白くひるがへり海風のふくソレントのみち  傾斜路の轍のあとも井戸桁の摩滅のあとも石の親しさ(ポンペイ)

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私の好きな現代短歌(146)

石古りし壁のあひだにただよへる廃墟のにほひ灰のごとくに  佐藤佐太郎  古い石の壁の間に漂っている廃墟の匂いが、まるで灰のように匂っている。  佐太郎らしい、感覚の繊細微妙さを感じさせる歌である。古代ローマの遺跡を見て歩くと、遺跡独特の匂いがあり、それがまるで灰のようだというのである。言われてみれば、なるほどそうだろうなと納得させられるが、自分がその場に立っても、そんなことには気づかないだろう。栄華を極めた古代ローマの遺跡も、所詮人間の築いたもので、大自然の変遷に比べればはかないものだというのが、佐太郎の感慨だっただろうか。  山川の変遷よりも哀れなる古代の跡をいくつ見にけん  中庭に降る雨を見てをりしときローマの空に秋の雷鳴る

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私の好きな現代短歌(145)

上層のおほよそ白きコロッセオそばだちて長き夕映終る   佐藤佐太郎  上の方が白いコロッセオが高く立っていて、それを照らしていた長い夕映えが消えていった。  古代ローマの遺跡コロセウムを照らす夕映えの美しさを詠んでいる。コロセウムは、紀元八十年、皇帝ティトスが完成させた四万人収容の円形闘技場である。高さが四八メートルもあるので、夕日が沈んでもしばらく、白い大理石の上部が赤く照らされている景色が浮かんでくる。元の名前は、アンフィテトリウム(円形劇場)だが、紀元千年ごろから、そばにあったネロ皇帝の巨像(コロスス・ネロニス)の名が転用され、コロセウムと呼ばれるようになったそうである。  円柱のあひだあひだの秋日踏み石だたみ古りし回廊をゆく

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私の好きな現代短歌(144)

家あひの低きところに夕雲の赤(あけ)みゆるころ運河をぞゆく  佐藤佐太郎  建物の間の低いところに夕雲が赤く見えるころ、舟で運河を通って行く。  佐太郎は、スイスからヴェネチアに入る。ヴェネチアは、五、六世紀、フン族の進攻を恐れた人達が、アドリア海の潟の上に都市を作ったのが始まりで、今も車の乗り入れを禁止し、市内の交通には舟を使う。今は、地盤沈下による水没の危険があり、貴重な歴史と文化を守るため、ユネスコもその対策に乗り出している。  ヴェネチアのゆふかたまけて寒き水黒革の座席ある舟に乗る  革細工売る露店ありて陰湿のにほひただよふ石だたみ道(フィレンツェ)  低丘はオリーヴしげり秋晴の光にとほく立てる白雲(ローマ途上)

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私の好きな現代短歌(143)

六キロのトンネルの中に国境ありそこより道は下りとぞなる  佐藤佐太郎  六キロもの長いトンネルの中を上ってくるとそこは国境で、それを過ぎると道は下りになった。  島国に住み、海が国境である日本人にはもの珍しい体験をする。トンネルの中を車で走っていると、その真ん中で、いきなり国境にぶつかるというおもしろさが歌になった。  ワインをつくるブドウ畑や、雪に輝くアルプスの山々が迫ってくるのも、めずらしい風景だっただろう。  山ふかく来つつ山ふかきこころなし見ゆる傾斜は葡萄の黄葉(もみぢ)  昼食のあひだ忘れゐし雪山がめぐりに光るアオスタの町  ななかまどの朱実(あけみ)たりたる並木みちモンブランより光およばん

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私の好きな現代短歌(142)

夕光うけつつあらん立雲の空ひろければ幾つも見ゆる  佐藤佐太郎  夕日を浴びているのだろう。空が広いので、柱のように立っている雲が幾つも見える。  一九六四(昭和三十九)年、佐太郎は、ヨーロッパ旅行で、フランス、スイス、イタリアを巡っている。この歌は、飛行機がタイ上空を飛んでいるとき、窓から見えた雲を詠んだものだ。立雲という表現で、飛行機から見える雲の様子をうまくつかんでいる。  佐太郎は生涯に、国内はもちろん、外国旅行にも何度も出掛けている。  やうやくに朝たけて空気寒からん靄たちなびくセエヌのながれ(パリ)  国境の外気にたてば遠くゐる牛の鈴の音をりをり聞こゆ(スイス)  まのあたり空のなかばに輝きてモンブランちかしまぶしきまでに

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私の好きな現代短歌(141)

月面におりし人を見こゑを聞くああ一年のごとき一日  佐藤佐太郎  月面に降りた人を見、その声を聞く。ああ今日の一日は、まるで一年のようだ。  あまり時事問題を露骨に詠まない佐太郎も、さすがにアポロ十一号、人類初の月面着陸は、詠まずにおれなかったようだ。一九六九(昭和四十四)年七月二十一日と日付を入れて発表している。  ただ白き輝(かがやき)として人うごく永遠(とは)に音なき月のおもてに  引き続き、老いの歌を紹介する。  ひといきにビールのむとき食道の衝撃にも老いて弱くなりたり  午睡する老いし形を妻はいふみづから知らぬあはれの一つ  わがための日あり夜ありとおもふこと老いてやうやく心にぞしむ

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私の好きな現代短歌(140)

衰へしかたち微かに生きをれば年あらたまり心あらたまる  佐藤佐太郎  衰えた体でもどうやら生きていれば、新年が来て、気持ちも新しくなる。  一九六八(昭和四十三)年の新春詠。この年、佐太郎はまだ五十九歳である。この頃から、ようやく老いを詠んだ歌が多くなってくる。老いは個人差があるので、一概には言えないが、今から四十年ほど昔には、五十九歳といえば老人だったかも知れない。もっとも佐太郎はその後十九年も生きるのだが。今は、五十九歳で老人などと言うと、笑われる。  老づきしあはれのひとつあやまりて舌噛むことの幾たびとなし  薔薇さきて小鳥ひくくとぶ楽しさはかつても見しか老いて今日見る  さく薔薇の土に影おくかたはらに老いて愁の多きは何か

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私の好きな現代短歌(139)

アンコール・ワットの濠にほてい葵の花うごかして水牛沈む   佐藤佐太郎  アンコール・ワットの寺院の濠に、ホテイアオイの花が群れ咲いているのを押し分けるようにして、水牛が体を沈めていく。  一九六九(昭和四十四)年には、カンボジアを旅し、アンコール・ワットを訪ねている。十二世紀前半に砂岩を積み上げて建てられたヒンズー教の壮大な寺院で、まわりが幅百九十メートルの巨大な水濠で囲まれている。  バイヨンの石塔の群(むれ)山のごとく回廊のうへに見えて日に照る  あつき空めぐりとぶ九官鳥のむれ塔のいただきにとどまりて鳴く  崩壊のあとの石塊(いしくれ)にしばし立つ虚しきものは静かさに似る  わがこころしきりに虚し目のまへに木の根動かず石も動かず

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私の好きな現代短歌(138)

地底湖にしたたる滴(しづく)かすかにて一瞬の音一劫(いちごふ)の音  佐藤佐太郎  地底湖にしたたり落ちるしずくの音がかすかにする。一瞬の音であり永遠の音でもある。  一九七〇(昭和四五)年、岩手県岩泉町の龍泉洞を見学したときの歌であろう。龍泉洞は、日本三大鍾乳洞と言われ、全長五キロメートルと推定され、未踏の部分が半分残っている。地底深くに清冽な湖が幾つかあり、その水深百二十メートルは日本一で、透明度の高さでも有名である。近年は、「龍泉洞の水」が全国に売られている。  流動も深浅もなくきよきもの地のそこひに淵はたたふる  さかしまに石髄たるる洞奥は昼夜にぬれて石ひややけし  音たぎつ地下の滝ありてたちまちにみぢかきゆくへ巌(いはほ)に終る

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私の好きな現代短歌(137)

雲のゐる佐渡のあたりは寂しけれ弥彦の山にのぼりて見れば   佐藤佐太郎  雲がかかっている佐渡のあたりは寂しい感じがする。弥彦山に登って眺めてみると。  一九七〇(昭和四五)年弥彦山に登って詠んだ歌である。やはり佐太郎らしく、日本海の風景に寂しさを感じている。午後になると、日本海が重たく見えるというのである。  ふたざまに陸と海みゆる山の上昼たけて海はおもくなりたり  翌一九七一(昭和四六)年には、佐渡を訪れて次のような歌を詠んでいる。ユリ科の野生の植物、萱草(かんぞう)のオレンジ色の花が全島に咲き乱れる時期だった。  わたなかの島にて空の香のみつる草山の原花かぎりなし  草にゐて鳴く鳥多し萱草の花照る遠きなだりにも鳴く

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私の好きな現代短歌(136)

白鳥の鳴くこゑたえず聞こえゐる水の明るさ雪山ちかく  佐藤佐太郎  白鳥の鳴く声が絶えず聞こえている水面が明るい。雪山が近くに見えて。  旅好きだった佐太郎は、日本全国どころか、世界中を旅している。もちろん新潟県にも何度も来ている。旅は好き嫌いを越えて、歌人は歌を詠むために旅をしないわけにいかないというべきか。一九六四(昭和三九)年、瓢湖を訪ね、白鳥を詠んでいる。  白鳥はちかきところにも安らかに水移りつつ鳴くこゑあはれ  白鳥はからだおもければとびたつと水の上かける如くはばたく  白鳥の群とびたちてひとしきり雪山の上ゆれつつわたる  渚のみ波音のたつ太郎代の浜のひろさよ曇日さむく

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私の好きな現代短歌(135)

冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ  佐藤佐太郎  冬山の青岸渡寺の庭に出てみると、風に傾いて落ちる那智の滝が見える。  あの豪快に落ちている那智の滝が、風に吹かれて傾くだろうかと、論議も呼んだが、風当たりの強い青岸渡寺の庭から遠く見える那智の滝は、小さく頼りなげで、いかにも風になびくかのように見えたという佐太郎の感覚が繊細である。  この旅では、江戸時代からの捕鯨で有名な太地町の梶取崎まで足を伸ばした。  十年(ととせ)経てふたたび来れば移りゐる雲ひとつ那智の滝のしづかさ  高きより光をのべて落つる滝音さやさやとさわがしからず  冬の日の入りたる後に海ひろき梶取崎は木々の葉ぞ照る

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私の好きな現代短歌(134)

暁の部屋にいり来しわが妻の血の香を言ふは悼むに似たり 佐藤佐太郎  明け方の部屋に入ってきた妻が、血の臭いがすると言うのは、まるでお悔やみを言っているように思われる。 一九六六(昭和四一)年五七歳、八月には第八歌集「冬木」を出版し、編集や執筆に忙しい日々を過ごしていた。過労からだろう、大晦日、佐太郎は突然大量の鼻血を出して、入院し、正月を病院で過ごした。そして一月六日無事退院した。しかしその後も、忙しい毎日が続いた。  血のにほひとどこほるらし朝曇おくれて晴るる日々さむく臥す  病院の第五階にてわが窓はおほつごもりの夜空にひたる  鹹(から)き血のにほひのなかに逝く歳を守るともなくわれは覚めゐき

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